500社2500名以上が読む「1日を5%元気にする」メールマガジン

社会の一員としてのルール

465号2015/02/03更新

■おはようございます。紀藤です。

昨日もお客様とご面談。

やはり人材育成は”習慣化”がキーワードだなと、強く思う今日この頃。

「一振りすれば、学んだことが明日から100%できる」
なんて都合のよい魔法の杖のような研修はありませんが、
”仕組み”&”時間+労力の投資”を考え、実行すれば、
習慣化できる可能性は、ぐっと高まると思います。

習慣化にご興味がある人事の方、ぜひ語らいましょう!
■さて、今日のお話です。

最近は国際問題がどうしても気になります。

そんな多様な文化、色々な考え方に囲まれた中で、
「社会の一員としてのルール」として考えさせられるお話です。

それでは、どうぞ。


【社会の一員としてのルール】

誰もが、自分の属する集団や地域社会は
「ほかの社会よりも重要で優れている」
と考えがちである。

どの地域社会でも、これは同じことだ。

しかし、そうして自分たち以外のグループを排除するのはいけない。

むしろ、他のグループを受け入れて、自分とは違う生い立ちや文化的背景を持つ人々と交流したほうがはるかにいい。

そうすることで、自分たちがもっと大きな人間社会の一員だという自覚が生まれてくる。

排除するのは簡単だ。

しかし自分たちのグループをほかから完全に区別すれば、
「敵」と「味方」の状況がすぐにできあがってしまう。

すべての人に対して、敬意をもって接しなくてはいけない。

相手が誰であろうと、助け合っていかなくてはならないのだ。

「人生のルール」
リチャード・テンプラー 著


■いかがでしたでしょうか。

色々感じるところがあるかと思いますが、私が特に気になった部分は、
”自分の属する集団や地域社会は「ほかの社会よりも重要で優れている」と考えがち”
というところ。

この部分、妙に納得しまいました。

ある心理学の本でも書いてありましたが、

「自分の所属組織や、自分を高く評価してしまうのは、人が持つ心理的な傾向である」

そうです。

必ずしも全員がそう、とは限りませんが、
「自分が優れていると思う(思いたい)傾向がある」というのは、
万人の傾向として存在するそうです。


■しかしながら、上のお話でも言うように、

「相手は自分達とは違う。そして、自分の方が重要で優れている」

と一方的に考えるのは、
敵味方を創る、リスキーな考えでもあります。

もし「自分が全て」と思ってしまったら、
異なる相手との距離を縮めることは難しくなるでしょう。

「私が重要で優れているから、もちろん私が優先される。あなたは後。」
となってしまいかねません。

でも私たちは「社会の一員」として、
誰か別の人と協力することが、何かしらの形で求められます。

もしグローバルで活躍する会社などで働いていれば、尚更そうでしょう。


■であるならば、異なる考え、人が存在する社会において、
人と協働協業し、より良い成果を目指す上において、

「自分(達)が重要で優れていると考えてしまいがち」

という傾向が、自らの中に多少なりともあることを意識し、
そして自制しようとすることが、
全ての人にとって大切になるように思えます。


「7つの習慣」では、
”第六の習慣 シナジーを創り出す”という習慣があります。

これは、異なる人々と、素晴らしい結果をもたらす”第三案”を創るという内容で、
「7つの習慣」が最後に目指しているゴールともいえる習慣です。

しかし、この第三案をつくるためには、
「異なる人々と、お互いに理解し合うこと」
が不可欠である、と言います。


■私たちが全体として前に進むためには、多くの人が
「自分と相手は考えが違うだけ。そこに優劣はない」
という考え方を持つことが、改めて大事になってくるのでしょう。

多くの人や考えに触れる機会が増えたからこそ、
「自分と他者の違い」そして「他者を尊重する」ということを改めて意識することが、
それがこれからの国際社会に、
そして私自身にも必要なのだろうなあ、思った次第です。


少しスケールの大きいお話でしたが、ご参考までに。


最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。
今日が皆様にとって、素晴らしい1日になりますように。
【本日の名言】
人間というものは、面白いものであり、不思議なものであり、
必要のない人間というのはいないのである。

            本田宗一郎

初めての方はこちらから

ビジネス&ライフに小さな変革を 未来習慣メールマガジン

カテゴリー別で見る

「7つの習慣」から探す

キーワードから探す

年別アーカイブ

※このサイトは、フランクリン・コヴィー・ジャパン(株)とは関係なく、記載されている内容の責任は著者個人に帰するものです。